【11月14日】日記


因为是倒数第一而获得诺贝尔奖/ビリだからノーベル賞

alt text


1)中文【11月14日】因为是倒数第一而获得诺贝尔奖

凭借神冈探测器获得诺贝尔奖的小柴教授去世了。
享年94岁。
他是已故圣道理事长的一高、东大同学。
和父亲关系很好,我从小也经常与他见面。
总是像豪鬼(游戏中的人物)一样,话很多。
特别是获得诺贝尔奖后,总是自吹自擂。
高兴得不得了。
就是这样的性格,总是爱搞调皮恶作剧。
和其他东大教授的气质完全不同。
东京大学医学部的教授老师,都是充满知性和理性像水晶一样的人。
都是像画里的秀才、天才一样的人。
在他们中间,老师散发着温暖的能量,令人印象深刻。
他身在东大,却崇拜京都大学的朝永老师,这在东大是很少见的。
因为我也很崇拜获得诺贝尔奖的汤川教授和朝永教授,所以很高兴。
小学时候憧憬的是数学和物理学的研究者。
在地下一千米处造一个巨大的纯水储罐。
在那里发现了基本粒子中微子,获得了诺贝尔奖。
发现基本粒的可能性几乎为零。
从宇宙的时间跨度来看,研究才开始几年就发现了中微子,简直是奇迹。
不可能的事。
与遭遇未知的外星人可能性相同。
想想看,对于这种可能性极小的研究,当时的日本大藏省承认其巨大预算是很了不起的。
总之,其他国家并没有为这种研究提供预算。
虽然每个人都说运气好,但并没有说研究人员优秀。
但是,老师总是充满热情地说“是我在做这个实验!我做到了!”。
(研究人员)一旦进入地下的神冈探测器,半年都不会再出来。
不能和家人见面,也不能联系。
在隧道中,等待与基本粒子的相遇。
昼夜不分,只能用仪器进行观测。
甚至有的下属教授把人生献给研究,因此而缩短了生命。
那位研究者在不知道获得诺贝尔奖的情况下去世了。
无论何时,小柴老师都对这件事感到遗憾惋惜。
每次喝酒的时候,他总是哭着说对不起,对不起。
我想起了父亲总是在旁边像母亲一样温柔地安慰着他的样子。
他为以倒数第一的成绩从东大毕业而自豪。
是可以坦率地说自己曾经是倒数第一的,孩子气的、热情的人。
但是,他的讲座一开始,就会把门关上,然后上锁。
不允许迟到的和中途进来的听众听。
会这么说的教授,也只有小柴老师这样的人了。
总之,他是位令人印象深刻的难忘的老师。

2)日文【11月14日】ビリだからノーベル賞

カリオカンデでノーベル賞を受賞した小柴教授が亡くなった。
享年94歳。
つまり、故聖道理事長の一高、東大の同期。
父とは親しく、私も子供の時から、よくお会いした。
いつも、豪鬼で、おしゃべり。
特に、ノーベル賞を受賞なさってから、いつも、自慢話。
嬉しっくって仕方がない。
と言った風で、やんちゃな悪戯坊主と言った風満載。
他の東大の教授とは雰囲気が全然違う。
東大の医学部の教授の先生は、知性と理性が水晶になったような方ばかり。
秀才、英才を絵に描いたような人ばかり。
その中で、暖かいエネルギーを振り撒く印象的な先生。
東大で、京大の朝永先生を信奉していたのも、東大では珍しい。
私も、湯川、朝永ノーベル賞教授を憧れていたので、嬉しかった。
小学生の頃の憧れは、数学や物理学の研究者でした。
地下1000メートルに純水の巨大タンクを作る。
そこで、素粒子ニュートリノを見つけ、ノーベル賞を受賞した。
素粒子と遭遇できる可能性はほとんど無かった。
宇宙のタイムスケールからすれば、研究開始数年で発見できたのは、奇跡。
ありえない。
宇宙人との未知との遭遇の可能性と同じ。
考えてみれば、そんな可能性の薄い研究に、巨大予算を認めた当時の日本の大蔵省は偉かった。
とにかく、他国はそんな研究に予算を出さなかった。
誰もが、運が良いと言っても、研究者が優秀だからとは言わなかった。
でも、いつも、先生は俺はやるんだ、やったんだと、情熱一杯。
地下のカミオカンデに入ると、半年は地上に上がって来られない。
家族とも、会えない、連絡もできない。
トンネルの中で、素粒子との遭遇を待つのみ。
昼夜の時間も関係なく、計器で観測するしかない。
その、研究に人生を捧げ、命を縮めた、部下の教授がいた。
その研究者はノーベル賞の受賞を知らずに亡くなった。
何時も、その事を、すまなく思っていた。
酒を飲むと、いつも、すまない、すまないと言って、泣いていた。
隣で、優しく、母親のように何時も慰めていた父の姿を思い出す。
東大をビリで卒業した事を自慢していた。
ビリだったろうなと言うような気さくで、子供っぽい熱い人だった。
でも、講演会では、始めると、ドアを閉めて、鍵を掛けさせた。
遅れて、途中から、聞きに来る聴衆を許さなかった。
そう言う教授も、小柴先生位しか、思い起こせない。
とにかく、印象的な忘れられない先生だった。

3)解説【11月14日】ビリだからノーベル賞

昨日亡くなった小柴昌俊教授についての代表の追悼文は、非常に印象的でした。
ノーベル賞を受けた学者は、典型的な学者タイプと思っていましたが、
東大では劣等生で、やんちゃな悪戯坊主と言った風であったということを知り、
人間的な温かみのある人であったことを知りました。
また、有望な弟子の早死に対しても
深い思いやりを持っていたことからも教授の人間性のすばらしさを感じました。

用户7825 用户7825
5 个月前
2

扫描下方二维码手机阅读文章