【9月9日】日記


记忆术/記憶術

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1)中文【9月9日】记忆术


9月9日是什么节日?
(在日语中)9•9的发音是“急救”的谐音,所以今天是急救日。
这是厚生省决定的,不过只是个谐音,到底能不能调动起急救医疗相关人员的士气呢?
今天也是世界占卜日。
诺查丹玛斯预言中的世界末日。
据他说世界会在1999年9月9日灭亡。那现在是来世吗?
(今天)还是手卷寿司日。
因为99是“咕噜咕噜”的谐音。
我的记性相当不好。
尤其是记不住人的名字和长相。
我的日程表上一定会写着来访者的公司名和姓名。
即使前一天确认过日程,到了早上,也只能记住一大早的日程,根本想不起下午的。
小学同学会上,我也几乎想不起来任何人的名字了。
尽管我是同学会干事。
但是,其中也有每次见面都毫不犹豫叫出对方名字的同学。
或许是头脑的构造不同吧。
电影《雨人》捧红了“学者综合征”。
这些人对数字的记忆和计算能力甚至比普通的计算机更快、更准确。
却做不到与他人进行日常交流。
现在很多人都知道,有些人成为了天才科学家或者跨国公司经营者,却无法阅读理解文字。
现代的脑科学正在逐渐揭开这个谜题,发现这些人在大脑里处理信息时,和一般人的过程不一样。
即使数字处理、准确记忆的能力不好,也一定会在其他方面十分优秀。
绘画、音乐、艺术天才被称为怪人也是有理由的。
当然我也会觉得,我虽然记忆力不好,但相对的一定有我自己擅长的地方。
我的记忆几乎都是用影像保存。
像普鲁斯特的《追忆似水年华》中,泡在红茶里的松糕的味道和香味唤醒了遥远的记忆。
而我有慢性鼻炎,没有那样的记忆。
我的大脑经常做多元性和融合性的思考,可能也是对个别记忆识别能力较弱导致的吧。
事情如何要看你的想法如何。如果把自己的各方面全部当作个性的话,就没有必要沮丧。
我几乎读了所有关于记忆术的书。
抽象的数字会利用谐音记忆。
具体的东西就用一个图像来比喻,把那个图像放在脑子里就容易记住了。
按照记住的顺序来回忆。
小林先生站在东京站,安藤先生站在有乐町站,铃木先生站在新桥站。
通过这样的影像来记忆的话,就会容易想起顺序。
这种诀窍并不是什么秘密,而是很经典的方法。
我作为一个新手,是这么认为的。
记忆术可能对考试技术有一部分作用,但也不过如此。
对人生没有太大影响。
不可能单纯因为记忆术,就会有新发现、经营上取得成功、或者人际关系变好。
我没听说过那样的人。更没遇到过。
不被这些技巧所吸引,而是诚实地生活,舍得下笨功夫的人才能成功。
政治家、小说家、经营者都是这样,在现实世界中,比起不能忘记的事情,不得不忘记的事情更多。
政治家忘不掉忘记仇恨和嫉妒,就会进行无用的权力之争。
小说家写完一部作品后,如果不从大脑里抹掉那部小说的世界,就写不出下一部作品。
所以才要喝酒。
我这么说,听起来像是酒鬼的自我辩护。
经营者也常常会因为职员工作不用心而不想继续工作。
经营者的人生创伤,靠酒是无法忘记的。
只有赌上全部人格、全部人生、全部财产,向更出色的新事业迈进。
这一点与总是以更高的山为目标的登山家很相似。
舍命攀登,成功登顶之后看到的风景,即使想忘记也不会忘记。
人生的体验、经验中不包含记忆术。

2)日文【9月9日】記憶術

9月9日は何の日?
きゅうきゅうの語呂合わせで、救急の日。
厚生省が決めましたが、語呂合わせで、救急医療関係者の士気が高まりますかね。
世界占いの日。
ノストラダムスの終末の予言日。
1999年9月9日に世界は滅んだはずだが、今は来世か。
手巻き寿司の日。
くるくるの語呂合わせ。
私は本当にものを覚えが悪い。
特に人の名前と顔が覚えられない。
私のスケジュール表には、来社の方の社名と名前が必ず書かれている。
前日に予定を確認していても、朝になると、朝一の予定は覚えていても、午後の予定が思い出せない。
小学校の同窓会でも、ほとんどの人の名前を思い出せない。
当日の幹事なのに。
でも、中には、会うたびに相手の名前を迷わず、間違えずに呼びかける同窓もいる。
頭の構造が違うのだろう。
サバン症候群は映画レイン・マンで有名になった。
数字の記憶力、計算力が並のコンピューターより、早く正確。
でも、人とのコミニケーションは普通には出来ない。
天才的科学者や、世界的企業経営者に文字を読んで理解する事に不自由な人もいるのは、今は良く知られている。
情報の脳内処理が、普通と違うと言うことまでは、現代の脳科学で解明されつつある。
デジタル的な処理、確実な記憶の能力が悪くても、他の機能が優れているのではないか。
絵画、音楽、天才的芸術家は変人と言われるのも、理由があると思う。
勿論、記憶力の悪い私も、他にその分良いところがあるはずだと、思いたいのだ。
私の記憶は、殆ど映像で保存されている。
プルーストの「失われた時を求めて」では、紅茶で浸したマドレーヌの味と香りが遠い記憶を呼び覚ます。
慢性鼻炎の私にその様な記憶はない。
多元性と融合の思考が多いのも、個別の記憶識別に弱い脳の認識力の結果ではないか。
ものごとも考え方次第。全て個性と思えば、落ち込む必要はない。
記憶術の本も殆ど読んだ。
抽象的な数字を、語呂合わせで覚える。
具体的な物、その画像に例えてその画像を頭に浮かべて覚えやすくする。
既に記憶されている順番に絡めて覚える。
東京駅に小林さんが立っていて、有楽町駅に安藤さんが立っていて、新橋駅に鈴木さんが立っている。
そう言う映像で覚えると順番に思い出しやすい。
そのノウハウは秘密でも何でもなく、歴史的にも有名。
その学びの徒の私が言います。
記憶術は受験技術の一部に役立っても、そこ迄。
人生にはさほど影響はない。
記憶術のおかげで、新発見をしたり、経営に成功したり、人間関係が良くなったりはしない。
そうゆう人を見たことがない。あった事がない。
そう言う事に気を取られない性格の人が、愚直な努力で誠実に生きて成功する。
政治家も、小説家も、経営者も実世界では、忘れてはいけない事よりも、忘れなくてはいけない事の方が多い。
政治家は恨み、嫉妬を忘れられず、無用な権力争いをする。
小説家は一作書き上げると、その小説の世界を頭から消さないと、次の作品が書けない。
だから、酒を飲むのだ。
と、言っていました。酒飲みの自己弁護としか聞こえませんが。
経営者も職員の不誠実で、仕事が嫌になってしまう事は数知れません。
経営者の人生のトラウマは、酒では忘れられません。
全人格と全人生、全財産をかけてより素晴らしい新たな事業に邁進するしかありません。
常に、より高い山を目指す登山家に似ています。
命を懸けて登った山での風景は、忘れたくとも忘れられるものではありません。
人生の体験、経験に記憶術は入りません。

用户7825 用户7825
5 个月前
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