【8月20日】日記


8.20车牌号/ナンバープレート

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1)中文【8月20日】8.20车牌号


如果去年9月去世的父亲,圣道理事长还活着的话,今天就92岁了。
如果65岁的我活到同年的话,那还有26年。
因为他是所有贷款的担保人,所以不能辞去终身经营者的工作。
我听说过即使是患上ALS卧床不起,活在轮椅上,也有着非凡力量的经营者。
虽然我没有那样的生命力和毅力,但即使卧床不起,只要还能在合同上签字,作为董事长兼经营者就必须履行责任。
松下幸之助先生晚年在松下纪念医院工作长达25年。
据说董事会和新商品的许可都是在医院的会议室进行的。
父亲住院的6年期间,也在病房完成工作。
因为到处都是医护人员,所以比自己家更让人放心。
尤其能和托儿所里茁壮成长的小朋友们一块,每天都很幸福。
至少,比我带去报告跟他聊经营情况要好。
是有这样比自己家还要幸福的医院。
多亏了工作人员。
小时候,父亲喜欢开车,每个周末和家人一起开车兜风。
开始打高尔夫之后,也还是自己开车,夫妻俩一起享受高尔夫和兜风的乐趣。
我印象中父亲没有买过新车。
总是在好朋友换车的时候,把换下来的奔驰开回去。
爸爸再换下来的奔驰车归我来开。
而且,以前都是右方向盘的奔驰。
引擎明明在右边,却只把方向盘换到了右边,所以平衡不好,向左拐的时候要降低速度。
但是父亲觉得,日本是左侧通行,如果不是右舵车就不安全。
我一直在想,那为什么不开日本车。
晚年他换成了左方向盘的奔驰。
因为他的朋友开上了左方向盘的车。
于是他就说,在日本从左门上下更安全。
理事长是很随便的。
即使自己的想法改变了,也不会犹豫或者害羞。
明明自己是个烟鬼,可是刚一戒烟就向吸烟的员工宣传戒烟。
理事长是很随便的。
这方面我继承了他的随便。
在银座当院长的30年里,我每天早上开车上班。
那期间,我听了不少朋友、患者、同学的故事。
也就是所谓的性格谈、品评人物。
与大臣、财界人士、大学教授等大人物的青春回忆。
在那之后,我对大人物们的印象也变得亲近了。
我觉得那个年代的精英都很厉害。
尤其和日本现在的领导们比起来。
但是,正因为如此,日本才是幸福的。
今后不会这样了吧。
后来,为了父亲,我第一次买车的时候选择了最高级的国产车。
后座有按摩功能。
虽然我坐上不舒服,但是爸爸很喜欢。
第一次选择了车牌。
选择的是820。父亲的生日。
也许其他人都没有注意到,但是父亲只看一眼就笑了出来。
但是,没有说出口。
这是唯一的,送给父亲的生日礼物。
我今天上班,开的也是那辆车。

2)日文【8月20日】ナンバープレート

昨年9月に亡くなった、父聖道理事長は、生きていれば、今日で92歳になる。
65歳の私が同年迄生きたとしたら、後26年もある事になる。
全借金を個人保証している為、終身オーナー経営者を辞めるわけにはいかない。
ALSで寝たきりや、車椅子生活になっても、尋常ならざる力のあった経営者を知っている。
それ程の、生命力も、気力も持ち合わせないが、入院寝たきりになっても、契約書に署名できる限り、創業オーナー経営者としての、責任は果たさなくてはならない。
松下幸之助翁は、晩年の25年を松下記念病院で執務していたと言う。
役員会も、新商品の許可も、病院の会議室で行ったそうだ。
父も、入院6年間は、病室で、経営業務をしていた。
医療フタッフに囲まれているので、自宅より、安心していた。
託児所のポッポの子供達のふれあいが、日々の幸せだったと思う。
少なくとも、私が持ち込む報告経営相談よりも。
自宅より幸せな病院というのもあるわけだ。
スタッフのお陰です。
子供の頃、父は車を運転するのが好きで、毎週末は家族でドライブ。
ゴルフをする様になっても、自分で運転して、夫婦でゴルフとドライブを楽しんでいた。
父は新車を買った事はないと思う。
何時も、親しい友人が買い替える際に、古いベンツを引き取るのである。
私は、そのまた古くなったお下がりのベンツを貰うのである。
しかも、昔は右ハンドルのベンツである。
エンジンが右にあるのに、ハンドルだけ右に付け替えたので、バランスが悪く、左に曲がる時は、スピードを落とした。
でも、左側通行の日本では、右ハンドルでないと危険だと言うのが、父の持論。
だったら、日本車に乗れ、と、いつも思っていた。
晩年は、左ハンドルのベンツになった。
譲ってくれる友人が左ハンドルの車にしたからである。
その時は、日本では、左ドアの方が、乗り降りには安全だと言っていた。
理事長は、勝手なものだ。
自分の意見が変わっても、躊躇も、恥ずかしげもない。
自分がヘビースモーカーだった癖に、やめた途端、喫煙しているスタッフに禁煙を説いていた。
理事長は、勝手なものだ。
その辺りは、私も似ているかも知れない。
銀座の院長を務めていた30年間は、毎朝私が運転して通勤した。
その間、友人であり、患者である、同窓生の思い出話を聞いていた。
性格談議、月旦と言う。
大臣や、財界人、大学教授となった偉い人との青春の思い出。
その後、偉い人に対する見方がだいぶ身近になった。
あの時代のトップは、偉かったと、思う。
特に昨今の日本のリーダーを見るとそう思う。
でも、それだけ、日本は幸せだったのだ。
これからは、そうではないだろう。
さて、父の為に、私が車を初めて買った時は、国産の最高級車を選んだ。
後部座席にマッサージ機能がある。
私は苦手だが、父は気に入っていた。
初めて、ナンバープレートを選んだ。
それは、820。父の誕生日。
誰も気が付かなかっただろうが、父は一眼見て、破顔した。
でも、口にする事はなかった。
父への唯一の、誕生日プレゼントとなった。
その車に今日も乗って通勤する。

用户7825 用户7825
5 个月前
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