【3月12日】日记


第二天/翌日

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1.中文【3月12日】第二天


你还记得3.11东日本大地震的第二天吗?
星期六,我一个人呆在家里。
从前一天开始,连夜看电视,之后一整天,一边打开邮件,一边不停地打电话。
电视也反复报道了同样的场景。
网络被切断了,接收不到信息。
东京一直网络情况不佳,怎么也连不上。
东京和东北是不是一天没连通?
新潟和静冈等地方,迂回连接的话会突然和意想不到的地区连上网。
连接空置的网络线路。
发生灾害时,用邮件单独联络是不可能的。
倒不如在网页上放上去观看更快。
从这样的经历中,我开始知道,即使给灾区打电话、发短信询问也联系不上,这是浪费时间。
还是在受灾地区的网站上发布安全信息吧。
安全地带的设施,总之以进行支援准备为主。
萌生了即使没有指示,全国的设施也能自动自主运转的经验值。
不能因为平安无事,损失很小就不报告。
因为如果一直接收不到报告,就会不知道是因为死了,所以没有报告,还是因为平安无事,所以没有受害报告。
不管怎么说,要做一个还活着的安全报告。
总之,要搭载支援物资,前往联系不上的设施。
留在设施里的人也很辛苦。
因为设施里的工作人员减少,所以去救援的人和留在设施的人都是临战体制。
全国任何一个地方一旦有灾害,湖山G都会等待当地的通知。
等待来自该设施的附带照片的受害报告邮件。
等待网站的现场报告。
没有时间写文章。
把受灾情况的照片发给全国。
如果收到它,就知道寄件人还活着。
只需要知道你没事就好了。
东京和受灾地区之间的邮件、电话是断绝的。
正因为如此,平安无事的设施向全国的湖山发出了平安、不用担心的生存联络。
全国的湖山G不能仅仅是等待。
其实,地震2小时后,全国的设施就开始运转了。
山形和岛根地区,用面包车搭载着支援物资,向北方行进。
不管怎么说,支援车就这样向北驶去了,也不知道他们还活着,也不知道怎么联系。
我们在没有任何联系的情况下向北驶去。
没有人知道谁,从哪里,多少辆车,开往哪里。
当然,独自在家等待联络的我,也没有掌握任何情况。
只是担心灾区的朋友,相信他们还活着,急切地想着无论如何都要做些什么。
但是,实际上,全国的设施确实在进行具体的支援准备。
新潟中越地震时的全国支援经验派上了用场。
即使控制中心不起作用,全国的设施也通过自己的判断和行动,进入了支援体制。
这件事,在东北当地汇合后得知。
由我提议创建的灾害福利广域支援网络雷鸟开始行动了。
为了救自己的人。

2.日文【3月12日】翌日

3・11東日本大震災の翌日を記憶しているだろうか。
土曜日で、私は、1人自宅にこもっていた。
前日から、夜通しでテレビを観ていたし、その後も一日中、メールを開けておきながら、電話をかけまくった。
テレビも同じシーンを繰り返し報道していた。
ネットが、遮断されて情報が来ない。
東京は、混線してなかなかどことも繋がらない。
東京と東北は1日繋がらなかったのではないか。
新潟と静岡とか、迂回すると突然、意外な地区に繋がったりする。
空いた回線から繋がる。
災害時は、メールで個別に連絡するのは、無理。
むしろ、ホームページに揚げて観てもらう方が早い。
そんな経験から、被災地へ、電話、メールで問い合わせても繋がらないし、時間の無駄と知るようになる。
被災地から、ホームページで、無事である事を、現地情報を掲載しろ。
安全地帯の施設は、とにかく支援準備を進めろ。
指示無くとも、自動的に自主的に全国の施設は動く、と言う経験値が生まれた。
無事だから、被害が少なかったから、報告しないのはいけない。
死んでしまったから、報告が来ないのか、無事だから被害報告が来ないのか、私にはわからない。
とにかく、無事ある事の生存報告を送れ。
とにかく、連絡のつかない施設に、支援物資を搭載して、向かう。
施設に残った方も大変。
施設スタッフが減るのだから、救援に行く者も施設に残る者も全て臨戦体制。
湖山Gは、全国どこでも災害があると、その地からの連絡を待つ。
当該施設から、写真添付の被害報告メールを待つ。
ホームページからの現地報告を待つ。
文章を書く暇はない。
被害状況の写真を全国に送る。
それを受信すれば、送り主はまだ生きている事はわかる。
無事だと分かれば良い。
東京と被災地間は、メール、電話が断絶してしまう。
だからこそ、大丈夫だった施設からは、無事だ、心配ありませんとの生存連絡を全国の湖山に送る。
全国の湖山Gはただ待っていただけではない。
実は、地震2時間後から、全国の施設は動き出していた。
山形から、島根から、ワゴン車に支援物資を乗せて、北へ発信した。
生存もわからぬままに、連絡もつかぬままに、とにかく北へ支援車が向かった。
お互いに全く連絡も付かぬままに北へ向かった。
どこから、誰が、何台、どこへ向かうのかも誰もわかっていなかった。
勿論、1人自宅で連絡を待つ代表の私も、何も状況を把握していなかった。
只々、被災地の仲間を心配し、生きている事を信じ、とにかく何かをしなければと、焦っていた。
でも、実際は、全国の施設は具体的な支援準備を確実に進めていた。
新潟の中越地震の時の全国支援経験が役に立った。
コントロールセンターが機能しなくとも、全国の施設は独自の判断と行動で、支援体制に入っていた。
その事は、現地東北でお互いに遭遇して、知ることになる。
私が提案して創設した、災害福祉広域支援ネットワークサンダーバードは、動き出した。
自らの仲間を救援する為に。

3.解説【3月12日】翌日

  • 代表は、3月11日東日本大震災の翌日に何をしたかについて記憶を辿って綴っています。
  • 災害が発生したとき、上からの指示がなくても、独自の判断と行動で支援することの重要性を指摘しています。
  • 「転ばぬ先の杖」のような仕組み作りは、災害対策だけではなく会社経営にとっても大切だと思います。


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用户7825 用户7825
5 个月前
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