【3月28日】日记


在介护中加入新医疗/ 介護に新しい医療を

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1.中文【3月28日】在介护中加入新医疗


即使在新冠盛行的情况之下,湖山依然迎难而上,继续开设新的特养老人院。
并且,之后的设施的开设计划也在进行中。
在设计、职员动线、设备上,强化了感染症对策。
在医院和介护方面,需要兼顾硬件和软件两方面。
30年前,我在全国各地参观了医院。
比起酒店花钱更多的医院。
不过,很明显,以有钱人为对象的老人医院。
在毫不抑制的认知症医院。
不过,只是泡在了药里,没有任何反应。
人员水平高,评价高的康复医院。
房间很大,窗帘也被拆掉了,垫子有凹痕。
当时,很多老人温泉康复医院被认为是圈钱,也是无可奈何。
在医学界也不受尊敬。
从那时起,经营者即使花钱,也要提前准备好方便工作的设计、最好的医疗器械、好的待遇。
如果没有那种环境,就无法培养出有热情责任感的工作人员。
好的设计设备,孕育好的医疗服务。
坏的硬件设备,消耗好的服务。
单纯依靠优秀医生、工作人员的努力,是不现实的,也是经营者的懈怠。
这么久以来,我一直是这么认为的,现在也是。
民营医疗机关一直苦于资金和土地的限制。
在此,其实需要的是政府、行政的协助。
当时的父亲理事长,说只要做正确的医疗就好了。
他只说了这一点。
我觉得这句话太过哲学,所以很不满,希望父亲理事长能够考虑的具体一些。
医疗只能遵从医生的良知。
我现在在想,应该可以这么理解吧。
父亲在医院里对所有工种的职员都喊着”辛苦了,辛苦了”,但对医师却很严厉。
比起作为医师的能力,对作为一个人对医疗的态度更为严格。
他对职业道德很严格。
我想父亲本人作为医师的自尊心很高,不承认职业认知不到位的医师。
医师也是个有家室的人。
我想这是他的恩师,东大冲中教授,虎之门医院首任院长的教诲。
小时候的父亲的家庭也很严格,总是很紧张的氛围。
但是,从退休后的爷爷的祥和氛围来看,我理解作为现役时代的医师的紧张感是相当大的。
也许是出于想逃避严厉的父亲的想法,所以去了地方,去了介护。
但是随着介护设施的增加,介护中的医疗质量成为了课题。
但是,我觉得这样想的介护经营者很少。
因为他们更愿意认为,医疗是医疗设施、医师的问题,而不是介护事业者的责任。
我不这么认为。
这就好比学校、教师认为对学生的健康、受伤、生命没有责任而逃避。
至少,有责任引导专家进行治疗。
就像父母对待孩子一样,有观察的义务。
似乎是要把自己推到无限责任的地步,但是如果没有这种想法,就无法进行医疗介护。
进入新冠感染的社会后,人们更加考虑介护设施的医疗。
介护设施也与医疗机关一样配置了PCR检查机器和检查试剂盒套件。
首先,备齐了硬件。
接下来,是软件,也就是人。
特养方面,也希望配置顾问医生。
昨天,我们带着年轻有志气的医生参观了位于东京埼玉的医疗设施。
在樱花盛开、人山人海、堵车的路上跑了一天。
时隔一年的设施。
很怀念,很多工作人员前来迎接,有回娘家的感觉。
再一次,看看10多年前的设施,就能明白当时我和工作人员的目标思想理念。
空间充裕,总觉得哪里有奢侈的部分。
很怀念。
表现在脸上的,既害羞又高兴。
平时,都是作为检食选择设施的饮食进餐,但这次,却是吃了老字号鳗鱼。
鳗鱼也是好几年没吃过了吧。
现在我基本上不去店里吃饭了。
每个设施都有豆沙馅、仙贝、团子等美味佳肴。
游览设施就仿佛是赏花一样的心情。
工作人员看起来都很精神,笑容满面。
虽然多少有些勉强,也有些虚荣,但都是相互的。
理解和尊重介护的医师是很宝贵的。
邀请这样的医师去湖山,是我的工作。
今后也很乐意,就由我来带路吧。

2.日文【3月28日】 介護に新しい医療を

コロナの向かい風の中でも、新しい特養ホームの開設が続く。
そして、その先の施設の開設計画も進行中。
設計、職員動線、設備には、感染症対策を強化している。
病院と介護においては、ハードとソフトの両面の配慮が必要。
30年前、病院を全国見て回った。
ホテルより、贅沢なお金のかかった病院。
でも、明らかに、お金持ち相手の老人病院。
抑制はしませんとの認知症の病院。
でも、薬漬けで、反応はなかった。
スタッフレベルは高い、評価の高いリハビリテーション病院。
大部屋で、カーテンも取り払われ、マットは凹みがあった。
当時、老人温泉リハビリ病院も、お金儲けと思われても仕方がない病院が多かった。
医療界でも尊敬されていなかった。
その時以来、経営者は、お金をかけてでも、働きやすい設計、最高の医療機器、良い待遇を先に用意しなければならない。
意欲責任感のあるスタッフは、その環境でなければ育たない。
良い設計設備は、良い医療サービスを育む。
悪いハードは良いサービスを消耗させる。
優れた医師、スタッフの努力のみに頼るのは、非現実的で、経営者の怠慢だ。
私は、そう考え、今に至っている。
民間医療機関は、常に、資金と土地の限界に苦しんでいる。
そこに、政府、行政の協力が必要なのだが。
当時の父理事長は、正しい医療をすれば、良いのだよ。
とだけ言っていた。
私には、あまりにも哲学的で、具体的に考えて欲しいと不満に思っていた。
医療は、医者の良識に従うしかないのだ。
という意味だったのだろうと、今は、理解している。
父は、病院内では、あらゆる職種の職員に、ご苦労さん、ご苦労さんと声をかけていたが、医師には、厳しかった。
医師としての能力より、人間としての医療に向かう姿勢に厳しかった。
職業倫理に厳しかった。
父本人の医師としてのプライドが高く、他の良い加減な医師が許せなかったのだと思う。
医師も家庭のある人間なのだが。
恩師の東大沖中教授、虎ノ門病院初代院長の教えだと思う。
子供の頃の父は家庭でも厳しく、いつもピリピリしていた。
でも、引退してからの好々爺とした雰囲気を見ると、現役時代の医師としての緊張感がよほどのものであったのだと理解している。
厳しい父から、逃げるような思いで、地方へ、介護へと行ったのかもしれない。
介護施設が増えれば、増える程、介護における医療の質が課題となった。
でも、そう、考える介護の経営者は少ないと思う。
医療は、医療施設、医師の問題であって、介護事業者の責任ではないと、考えたがるからだ。
私はそうは思えない。
学校が、教師が、生徒の健康や怪我、命には責任がないと逃げるようなものだ。
少なくとも、専門家の治療に導くだけの責任はある。
子に対する親のように、観察義務はある。
自ら無限責任に追いやるようだが、その思いがなくて、医療介護は出来ない。
コロナ感染の社会になって、より一層、介護施設における医療を考えるようになった。
介護施設にも、医療機関並みに、PCR検査機器や検査キットを配置した。
まずは、ハードを揃えた。
次は、ソフト、人だ。
特養にも、顧問医師を配置したい。
昨日は、若く志のある医師を、東京埼玉の施設に案内した。
桜の綺麗な、人出の多い、渋滞の道筋を1日走った。
一年振りの施設。
懐かしい、多くのスタッフに迎えられ、実家に帰った気分になった。
改めて、10年以上の前の施設を見ると、その当時の私とスタッフの目指していた思想理念がわかる。
スペースに余裕があり、どこか、贅沢な部分がある。
懐かしい。
面映く、恥ずかしくもあり、嬉しい。
いつもは、食事は、検食として、施設の食事なのだが、今回は、老舗の鰻をご馳走になった。
鰻も何年振りだろう。
大体、お店に食事に行く事が無くなった。
施設ごとに、あんみつ、せんべい、団子をご馳走になった。
施設行脚の花見気分。
スタッフは、皆、元気で笑顔に見えた。
多少、無理、見栄もあったろうが、お互い様だ。
介護に理解と尊敬を持てる医師は宝だ。
そういう医師の湖山への誘いは、私の仕事だ。
これからも、喜んで、私がご案内しよう。

3.解説【3月28日】 介護に新しい医療を

  • 代表は湖山を戦艦に、幹部職員を艦長・副艦長・機関長に、新人を航海士に喩えました。
  • 「強将の下に弱卒なし」、マネジメントに強い幹部はどの組織にとっても絶対必要です。
  • 「玉琢かざれば器を成さず」、強将が部下を育て、部下が成長して初めて遠くまで航海ができます。
  • しかし、もしずるい幹部がいたならば、これほど組織・職員にとって有害な存在はないでしょう。


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用户7825 用户7825
5 个月前
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